この記事は旧ブログ(https://service-fuji.com)より転載したものです。

プロフィール

名前:f u j i (@fuji_service

年齢:20代 性別:男性 職業:美容師

吃音との出会い

私が吃音を自覚したのは小学3生でした。


いつも通り朗読しているはずなのに言葉がつっかえて周りのざわつく様子先生の不思議そうな目が痛かったことを覚えています。その日から、朗読のたびに吃るようになりました。

当時の私には、吃音がなにかの呪いのように思えて、自分は消えた方がいいと感じるほどでした。


毎夜、眠る前に「大人になれば治るはず」
そう言い聞かせていたのを覚えています。

電話恐怖症のきっかけ

中学生になる頃には、吃音はもっと酷くなっていました。先生にも親にも相談できず、1人でただ悩んでいました。

唯一の楽しみだったのが、部活動の卓球です。しかし、試合の際に相手選手への挨拶が出来ずに棄権させられて、部活動も嫌いになってしまいました。
授業中の朗読はまったく声が出ず、先生が諦めて次の子に進めるまで立っていました。

学校に連絡した後に、「いまf u j i から電話あったんだけど、まともに名前も言えなくて気持ち悪かった」と切れていない電話越しに陰口を言われていたのがショックでした。

吃音者の恋は希望か絶望か

高校生は部活に入ることもなく、無気力に過ごしていました。出席番号順に回ってくる教科書の朗読が辛くて、一年生の夏から半不登校になりました。
休み癖は加速して、このまま退学になると思っていたとき、学校生活に変化が訪れました。

人生で初めて好きな人が出来たのです。
当時の私は「吃音症だから恋愛は出来ない」などとは考えず、卒業式の日に告白して撃沈しました。
少なくとも私にとって、恋は学校に行く活力になりましたから、強い衝動が生まれる “人との繋がり” の大切さを知りました。

価値観の変革は突然に

美容学生というと、やんちゃで悪い学生が多いイメージがありました。入学式が近付くにつれて、吃音でイジメられる事がないか心配が募ります。

入学してみると、そこには今までに出会った事のない種類の人達がいました。
髪を明るく染めてピアス穴がいくつも開いているのは想像通り。各々が協調性を持たず、まさに「自由奔放」という言葉がピタリと当てはまります。
そこには私の想像していたような不快な学校生活はありませんでした。いま思い返せば、個性的で問題を抱えて生きてきた子が多かったと思います。

イジメられっ子,ネグレクト経験者,朝鮮人ゆえに差別を受ける子,少年院上がりなど色々なコンプレックスを持つ彼ら。人に優しくすることを学んだのかも知れないですし、自分が傷付けられるのが怖いのかも知れません。何にせよ、イジメられる心配がないと分かり安心しました。

入学から少したった頃、吃音を持つ私にとって地獄に等しいマナー研修がやってきました。接客のシミュレーションをしたり、大声で教訓を読み上げる2日間の合宿です。


大丈夫だと言い聞かせて臨みましたが、1日目から結果は散々で落ち込みました。同室のメンバーに顔を合わせるのも気まずく、体調が悪いと早々に寝ました。


1日目も同じような内容で、私は嫌になって抜け出しました。抜け出したのは決して勇気があるからではなく、それしか選択できないほどに追い詰められていたのです。

宿舎のトイレに逃げ込むと、他にも利用者がいるようでした。彼はサイトウと名乗りました。サイトウさんもマナー研修を抜け出しサボっていましたようです。

彼は学校の中でも一番の変わり者で、いつも周囲を困惑させていました。クラスの中には彼を苦手だと思う人も多くいましたが、私は面白い人だなと思っていたのです。

ほとんど初めて会話をする相手なのに、私はサイトウさんに吃音の全てを話してしまいました。他人に全部を打ち明けたのは、この時が初めてでした。私が話し終えるのを待って、サイトウさんはゆっくり口を開きました。


「生きてる事に何の意味も無いねん」

他の誰かが言っていたとしたら内心バカにしたかも知れません。中二病などの拗らせ発言だと笑うかも知れません。ただ、サイトウさんの言葉には妙な力強さがありました。

サイトウさんは日頃から、人間のあり方について真剣に考えているような変わり者でしたが、一線を超えて思考を深めた人間の言葉の響き方は重いと知りました。


サイトウさんは独特な世界観を持っていて、私はそれを聞くうちに、みるみる呑まれていきました。自分の有用性について考えるようになり、人生について考えるようになり、人間のありようについて熟考するようになりました。そうすると不思議なことに生活レベルでの悩みが意識から薄れていくのです。

この時期から私は、吃音は許容すべきで悪ではないのだと考えるようになりました。吃音に悩むような時間は無駄で、もっと命の本質に近付くような自問自答の時間こそ有意義だと思うようになったのです。


思い返すと拗らせて恥ずかしい思い出もありますが、今の自分はこの時代があったから生まれたのだ思います。

就活は何度もずっこけた

就活が始まり、いくつかの美容室で吃りながら面接を受けました。東京にある有名店に憧れて、どうしても入社したくて頑張りました。

実技は無難にこなしましたが問題は面接です。一次面接はビデオカメラで録画されながらの面接でした。幹部クラスの数名の前で質疑応答し、3分間の自己PRを終えました。緊張で話した内容を覚えていないですし、吃音が出たかどうかも意識にありません。


一次通過合格の手紙が届き、家族も一緒に喜んでくれました。その後は、手応えを感じていましたが最終選考で落ちてしまいました。

自己PRの際に、美容師に対する熱意とは別に、時間いっぱいに吃音症のことを伝えたからでしょうか。理由は分かりませんが、どれにせよ落ちましたし完全燃焼もしました。

いくかの美容室で面接を受けて、何度も吃りながら吃音を説明しました。感想としては、一昼夜で吃音を理解してもらうのは不可能だということです。

最後は説明するのも疎ましくなって、吃音のことは話さずに面接を受けて内定をもらいました。

初めての職場はメンタル強化合宿

無事に内定をもらい、4月から働きはじめました。接客のバイトなどは経験したことがなかったので、お客様への応対を覚えるのに時間がかかりました。

「動作と流れが分かっても声が出ない……」
ため息ばかり吐かれてしまい、怒られる毎日が続きました。
そんな私でも3ヶ月ほど毎日指導を受けることで、最低限の接客ができるようになりました。吃らないか不安になりながら、消耗していく毎日が続きました。

電話応対は先輩がとなりでチェックしています。私は上手く声が出ず、延々と説教と指導を受けました。

「お前のせいで失客している」と耳にタコができるほど言われました。


家に帰るのはいつも深夜で、生活サイクルは『起きる→出勤→帰る→食べて入浴→寝る』の繰り返しでした。楽しいことなど何1つなく、何の為に生きているのか分からなくなりました。

自身の人生に意味を見出そうとする心と、サイトウさんが言った「生きてる事に意味なんてないねん」という言葉がリフレインして、葛藤で眠れない日々が続きました。

就職から辞めるまで一年半。きっかけは先輩の一言でした。先輩はシャンプー台に寝そべり、目隠し状態で私の声だけを聞いて指導をしていました。先輩の前だと余計に緊張して吃る私。口がパクパクして声が出ませんでした。すると先輩が「お前がパクパクなってるの、いつもキモい思ってたんや。お客さんも皆、お前のことキモい思ってるで」と言いました。

本当のところは知りませんが、お客さんから私が不快だとクレームが来ていると言われました。脳みそにガツンと衝撃が走り、頭の中が真っ白になりました。
その後は、店長に辞める意思を伝え、3ヶ月後に退職しました。その間も「キモい」「クサい」「ウザい」と言われ、ストレスで全身に湿疹が広がり汁まみれになりました。そうすると、また悪口を言われたり。人生で一番、生きる事に疲れた期間です。

辞めてからしばらく休養するはずでしたが、働かない事に焦りを感じてしまい、3日で就職を決めました。(美容業界はどこも人手不足なので、すぐ雇ってもらえたのです)


幸い次の職場は人間関係の良いところでした。労働も6時間ほど少なくなり、物事を考える時間が増えました。

すると、ある時から「私は将来どんな風になりたいのだろうか」と考えるようになりました。吃音をどうしたいのか、仕事はどうするのか、結婚して家庭を持ちたいと思っているのか、色々な自分の可能性について考えました。自分の人生に目標とルールを与えることを始めました。

いま大切にしている3つの目標とルール

  • 他の吃音者の心の中にある『吃音症ゆえの不自由さ』を消したい。
  • 自分にしか出来ない事を仕事にする。
  • 興味を持った新しいことは必ず実践する。

これが今の私の生き方の根幹です。


吃音症は私たちをドン底に陥れるほど影響が強い。それと同時に、上手く向き合えば至福への道標になると私は思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。